新潟教区の皆様、神の母聖マリアの祝日、また新年明けましておめでとうございます。新しく始まった年を神が祝福し、私たちが今年を良い年にしていくことができますよう、新潟教会でのミサでお祈りしました。以下は説教です。
昨年、私たちはこれまでと全く違った生き方を強いられることになりました。なるべく家から外に出ない。外に出たら必ずマスクをし、人が密集、密接、密閉されたところを避ける。人も、自分もウイルスに感染していることを疑う。日本では学校が閉鎖になり、海外の様々な国では社会を回すために必要な仕事を除いて経済活動が止まりました。多くの人が職を失い、多くの移民労働者は仕事も、お金も、宿もなく、故郷に帰ることもままならないという事態となりました。貧しい国々では流通が滞り、市場に食糧が並ばなくなって、多くの人が食べるにも困るようになりました。教会では活動が制限され、ミサが無くなることも有りました。聖週間の典礼すら参加できず、ミサの人数制限は未だに続いています。
その反面、世界では空気がきれいになったり、温室効果ガスの排出が激減したり、動物が街に降りてくるようになりました。
100年に一度とも言われるこの出来事を、私たちキリスト者はどのように受け止め、生きて行くように招かれているのでしょうか。教皇フランシスコは降誕祭メッセージでローマと全世界に向けて次のように語られました。
生態系の危機と深刻な経済的、社会的な格差が、新型コロナウイルスのパンデミックによりさらに悪化しているこの時代には、兄弟愛がこれまで以上に必要です。神はご自分のひとり子を遣わすことで、わたしたちに兄弟愛をもたらしておられます。兄弟愛は、美辞麗句、抽象的な観念、あいまいな気持ちなどによるものではありません。そうではなく、真の愛に根差しています。その愛のおかげでわたしは、自分とは異なる人と出会い、相手の苦しみに共感し、たとえその人が自分の家族や民族、宗教に属していなくても、近づいて思いやることができます。どんなに自分と違っていても、兄弟姉妹です。このことは民族間、国家間の関係にも当てはまります。皆、兄弟姉妹なのです。
教皇は続けます。
境界線もなく広がるこの問題のために、障壁を築くことなどできません。わたしたちは皆、同じ舟に乗っています。だれもが兄弟姉妹です。どの人にも、神のみ顔が映し出されています。わたしは苦しんでいる人の中に、助けを求めておられる主を見いだします。病者、貧しい人、仕事を失った人、社会の片隅に追いやられている人、移住者や難民の中に、兄弟姉妹の皆さんの中に、主を見いだします。
私たちは、人として生まれてくださったイエスによって、父なる神の子どもとしていただき、それによってすべての人と兄弟姉妹になりました。私たちは愛を持って、兄弟姉妹とともに、特に困難の中にある人々と友に歩んで行きよう招かれています。
教会にとって、神の母である聖マリアを思い、祝い、模範として生きることはとても大切なことです。「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」この、理解を超える出来事に直面する度にマリアが取った態度は、今、このとき、皆さんにどのように響きますか?自分の弱さを隠さず、むしろそのままの姿で「どうぞ御旨のままに」と言うマリアの姿勢は、弱い自分を見限って、何かを諦めてしまうという生き方ではなく、「私の弱さをご存じの上でご自分の計画のために用いてくださってありがとうございます」という、前向きに神に信頼する態度ではないでしょうか。
教皇フランシスコは昨年の12月8日から今年の12月8日までをヨセフ年と定め、ヨセフへの私たちの愛を深め、取り次ぎを求め、その徳と熱意に見習うよう私たちに呼びかけました。聖ヨセフもまた、マリアと同じように、愛と、神への信頼と、信仰に基づいて、勇気を持って生きた人でした。私たちも新年にあたり、聖マリアと聖ヨセフの模範に倣って神への信頼の内に勇気を持って歩んでいきたいと思います。
毎年1月1日、神の母聖マリアの祝日は、カトリック教会によって「世界平和の日」と定められています。聖母マリアは「平和の元后」とも呼ばれますし、年の初めに世界中の信徒と心を合わせて一年の平和を祈り、決意を新たにするのは相応しいことだと思います。
教皇フランシスコは今年の世界平和の日のテーマを「平和への道のりとしてのケアの文化」としました。新型コロナウイルス感染症による危機に直面する世界で、神が私たち一人ひとりをケアしていること、私たちが、互いを、そしてすべての被造物をケアするよう招かれていること、特に貧しい人々をケアすること、こうしたケアを文化として社会に根付かせ、教えていくこと、などを私たちに呼びかけています。ぜひ皆さん、中央協議会のホームページでこの教皇メッセージを読んでみてください。
今年一年、どのようなときも私たちが神に信頼し、人々に神の愛に基づいた平和を証ししていくことができますよう、神の母聖マリアの取り次ぎを願いましょう。