新潟教区の小教区、修道院では、東日本大震災発災から10年を迎えるにあたり、仙台教区の方々の隣人として、今日3月11日にミサが捧げられました。10年目という日は、それで魔法のように問題が一段落するような時ではなく、これまでの一日一日を振り返り、ともに歩んできたことを心に留め、神のさらなる祝福と導きを願い、引き続きいのちを大切にする歩みを進めていく気持ちを新たにする時ではないかと思います。
カトリック教会が行う災害対応の特徴は、発災前は地域で当たり前に人々とともに暮らし、発災時は人々とともに被災し、そして人々とともに復興することだと言われます。わたしたちも、お隣さんの教区として、これからも歩みを共にして行けたらと願っています。
なお、司教団のメッセージが中央協議会のウェブサイトに掲載されています。ぜひお読みください。https://www.cbcj.catholic.jp/2021/03/11/22183/
The message from the Catholic Bishops’ Conference of Japan on the occasion of the 10th anniversary of the Great East Japan Earthquake.
https://www.cbcj.catholic.jp/2021/03/11/22275/
以下は本日新潟教会で行われたミサの説教です。
2011年3月11日、仙台の東、130キロで起こったマグニチュード9.0の地震は、多くの家屋を破壊し、500キロに及ぶ沿岸地帯を津波で飲み込み、福島第一原発の事故で放射性物質による汚染が広がりました。
警察庁によると、2020年12月10日現在、死者15,899人、行方不明者2,527人、死者不明を合わせて18,426人となっています。
復興庁によると、2020年9月30日現在、震災関連死は3,767人とのことです。
また、復興庁が今年2月26日付けで公表した資料によると、東日本大震災による避難者は全国に41,241人おられるとのことです。新潟、山形、秋田各県にも大勢の方が避難しておられます。そして、福島では現在も、7町村が帰還困難区域に指定されています。
これが、数字で表した東日本大震災の概略です。この災害について人に説明するとき、どうしてもこのような情報を伝えることになりますが、それは現場で人々が遭遇した出来事についてほとんど説明していません。
あの子の友達が一緒に小学校に入るはずだったけど、見つかっていないんだ。
あの女性は、丘の上に逃げていく途中で孫とはぐれてしまい、今も見つかっていない。
寝たきりのお父さんを避難させようと職場から家に向かう途中で、津波が家のある地域をのみ込むのを歩道橋から見ていた。
被災地で聞いたことです。
津波に襲われた地域では、多くの人がこのような状況に遭遇しました。一人ひとりが重すぎる思いを抱えて生きています。それは、自分ではどうにもコントロールできない感情なのではないかと思います。
震災直後、がれきだらけの街や、プライバシーのない避難所には、自分の思いを語り、怒りをぶつけ、悲しみをぶちまけ、涙を流す場所がありませんでした。
被災後、家を地震や津波、原発事故で失った人々は、避難所に数ヶ月とどまり、その後仮設住宅に移り、人によっては、仮設住宅の集約のため仮設から仮設へと引っ越しをし、最終的に復興住宅、もしくは個人宅へと移っていきます。そのたびに新しい隣人、新しい町内の人と人間関係を作っていくのですが、ご高齢の方々にとって、被災し、すべてを失い、数年の間に3回も4回も引っ越しをするというのは精神的にも体力的にも大変厳しい事に違いありません。
教皇フランシスコは、2年前に日本を訪問したとき、東日本大震災の被災者の方々との集いで次のように話されました。
「一人で「復興」できる人はどこにもいません。だれも一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが不可欠です。」
仙台教区の信徒グループ、全国からのボランティアは、「寄り添う」「共にいる」ということを第一に、活動をしました。ドロかきをしていても、休憩に誘われたら一緒にお茶を飲んで、話に耳を傾ける。避難所では子どもと遊び、お湯を提供して一緒にお茶を飲む。仮設住宅では集会所で足湯やおちゃっこ、手芸会、昼食会を開き、おしゃべりをする、などなど。これは、人がいて良い場所、悲しみを、怒りを、涙を出せる場所を作って、ともにいると言うことです。それは、いつもともにいて、泣く人とともに泣き、喜ぶ人とともに喜ぶ神があなたと一緒にいますよ、ということを証しする行いであったと思います。
すべてのベースで、「寄り添い」を大切にし、共にいることを通して「あなたは私にとって、神様にとって、大切な人です」ということを、伝えていきました。教皇が言うとおり、これは、仮設住宅などで新しくコミュニティーを作り、ともに歩んでいく上でものすごく重要な役割だったと思います。そして、この営みは今も続いています。新潟教区の教会、修道院、個人の皆様も、様々な形で寄り添いを続けてきました。わたしは当時仙台教区サポートセンターで仕事をしておりましたので、新潟教区の皆様の祈りと支えがどれほどありがたいものであるか、身にしみて感じておりました。この機会に皆様に感謝するとともに、その取り組みに敬意を表したいと思います。
教皇は同じ集いの中で次のようにも述べています。
「わたしたちにもっとも影響する悪の一つは、無関心の文化です。家族の一人が苦しめば家族全員がともに苦しむという自覚をもてるよう、力を合わせることが急務です。課題と解決策を総合的に引き受けることのできる唯一のものである、きずなという知恵が培われないかぎり、互いの交わりはかないません。わたしたちは、互いに互いの一部なのです。」
発災後10年を迎え、日本のカトリック教会全体としての支援活動枠組みは終了しますが、個々の活動は別の形で続いていきます。特に、福島内外における原発事故に関する寄り添いはこれからも長く続いていくと思われます。これからもわたしたちはお隣さんの教区の隣人として、ともに歩んでいきたいと思います。
イエスは今日の福音の中で、「神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」と言います。わたしたちが日頃からの祈りと、人々とともにいのちを大切にしていく行いを通して、神の国を証ししていくことができますように。