復活徹夜祭

新潟教区の皆さん、主の御復活おめでとうございます。今年はコロナ禍と年末年始が重なる慌ただしい聖週間となりましたが、無事に聖なる過越の三日間の典礼を行い、御復活を迎えることができたことを感謝したいと思います。

新潟教会では主任司祭のラウール神父、この春叙階された岡助祭とともに司教司式で復活徹夜祭のミサが行われました。やはり、助祭、司祭、司教がそろうと典礼が締まりますね。聖歌隊の皆さんも復活賛歌などで活躍してくださいました。ありがとうございました。

共同祈願では、特にコロナ禍に苦しむ人々のため、またミャンマーで苦しむ人々のため祈りが捧げられました。以下は説教です。


キリストは死者のうちから復活し、永遠のいのちの門を開かれた。
皆さん、主の御復活、おめでとうございます。

神は、人間を、わたしたち一人ひとりを愛するあまり、ご自分の独り子を世に使わし、人間として生まれ、人々、特に誰からも見向きもされない、さげすまれる人々を神がどれほど愛しておられるかを身をもって示し、ご自身のいのちを十字架上で捧げることによってわたしたちの罪をあがない、復活によって永遠のいのちへと招いてくださいました。

このあふれる愛の神秘は、わたしたちにとってあまりに大きなもので、その意味を理解するのはそう簡単なことではありません。

福音書では、様々な形で復活という出来事が現されます。空の墓。天使の説明。恐れる婦人たち。理解できない弟子たち。現れるイエス。こうした様子を、歴史を通して人々は様々な形で表現しようとしてきました。祈り。絵。歌。本。劇。映画。数々の名作が生み出され、例えば絵画などは、世界中から多くの人が鑑賞するために美術館や教会に押しかけます。

しかし、この主の復活という出来事を、最もはっきりと示し、わたしたちの心に深くその意味を刻み、神の愛に触れさせ、生活の中に落とし込んでくれるのは、聖なる過越の三日間の典礼です。わたしたちはこの三日間、主の過越の食事、受難と死、そして復活という出来事を、様々なシンボル、言葉、動きを通して、体験してきました。最後の晩餐、足を洗う式、世界中の人々とともに捧げる共同祈願、十字架の崇敬、復活の光、救いの歴史の朗読、そして、これから行われる洗礼の約束の更新。これらすべてを通して、わたしたちはキリストの復活が神の深遠な、長い救いの計画に基づいたものであること。神が、これほど大きな犠牲を払ってまでわたしたちを救おうとしてくださったこと。わたしたちがどんなに弱く、たとえ神を裏切ろうとも、神はわたしたちの弱さを通して、弱さを使って、働かれること。この復活によってもたらされた永遠のいのちを、わたしたちは今生きていること。そして、この素晴らしい喜びの知らせを分かち合い、告げ知らせるよう招かれていることを、この聖なる三日間の典礼はわたしたちに教え、経験させます。

ヨハネの福音の冒頭は、「はじめに言があった」とはじまり、「言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」と続きます。

皆さん、先ほどこの聖堂で、暗闇の中復活のろうそくに光が灯され、そこから皆さんのお手元のろうそくに火が灯されてゆきました。この光は、復活のいのちの光。いのちの希望の光。神の愛の光です。

コロナ禍によって引き起こされた様々な苦しみの闇。ミャンマーの兄弟姉妹が今直面している苦しみの闇。その他多くの暗闇の中で、このいのちの光、希望の光、愛の光はますます輝いています。それは、復活という出来事が、苦しみ、悲しみ、さげすみ、裏切り、絶望、死という、恐ろしい闇に打ち勝ってもたらされた光だからです。わたしたちの手の中のろうそくに灯された光は、そのシンボルです。

皆さん、聖霊降臨の後に弟子たちは宣教活動を始めましたが、そのメッセージの中心は「ナザレのイエスは死んで復活した」ということでした。自分が裏切ってしまったイエスがわたしたちのために復活された!という出来事は、そうやって、一人、また一人と伝えられていき、わたしたちのところにまで伝えられてきました。それは、復活のろうそくの火が一人、また一人と伝っていき、皆さんの手にあるろうそくにも灯された様子に似ています。皆さんは、その光を自分の所でとどめず、また次の人へと分けました。それはつまり、皆さんが受けたイエスの死と復活の知らせを、人々に知らせていくよう招かれているということです。

今日読まれた福音朗読は、マルコによる福音の復活の箇所です。ここでマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、墓に行く途中で天使の言葉を受け、イエスの復活について知らされます。そして、それを弟子たちとペトロに伝えるように命じられます。この場面は、マルコの福音のほぼ最後の部分なのですが、あと一節だけ続きがあります。それを読んでみましょう。   「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」

マグダラのマリアたちは、あまりにも混乱していて、恐ろしくて、天使たちの言ったことをペトロたちに伝えることができなかったのです。

わたしたちはそんなに強い存在ではありません。自分が受けた喜びの知らせを、いつも伝え続けると言うことはなかなかできることではありません。しかし、もし自分自身がこの知らせを受けたことに感謝していたら。もしこの知らせに喜んでいたら。もしこの知らせによって神の愛が自分の中で大きくなってきたら。もしこの知らせによって、生きる力、希望を与えられていたら、その知らせは自然に生活の中で周りの人に伝えられていくでしょう。マグダラのマリアたちも、弟子たちも、そうして人々に福音を伝えていきました。

復活したイエスが、生きて、今、私とともにおられる。今、復活のいのちへの道をともに歩んでくださっている。その喜びに満たされて、暗闇の中の光として歩んで参りましょう。

これから洗礼の約束の更新を行います。その時、この復活のろうそくから火が取られ、皆さんのろうそくに灯されていきます。皆さん、火を受け取る時、復活の喜びの知らせをしっかりと受け止めてください。そして、その喜びを伝える気持ちで隣の人に火を分けてください。