新潟教区 正義と平和委員会
担当司祭 佐藤 勤
新潟教区の皆様
十主の平和
コロナ禍が終息せず、ロシアのウクライナでの戦争も終わらず、閉塞感が漂っている世界の現状です。教皇フランシスコは「年間第33主日」を「貧しい人のための世界祈願日」として定め、毎年、この時期に教皇メッセージを出しています。今年のメッセージのテーマは、「イエス・キリストはあなたがために貧しくなられた」です。
これは使徒パウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙の一節ですが、飢饉が起こって困難に直面しているエルサレム教会にたいして、大規模な募金活動を行うように呼びかけたときの、「助けを必要としている兄弟姉妹と連帯する責任の根拠」として伝えたことばです。
教皇様のこのメッセージは10の段落からなっていますが、この中で教皇様は「イエスをしっかりと見つめなさい。イエスは『豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです』(二コリント8・9)という聖句を、以下のような七つの視点をもって解き明かしています。
①現代の教会も日曜日毎の感謝の祭儀の中で、それと同じ行為をしていること。「それは、一人の兄弟も一人の姉妹も、必要なものを欠くことがないよう、キリスト者が喜びと責任感をもってつねに果たしてきたことのしるし」であること。
②時間の経過とともに意欲は減退するが、やり始めたことはその責任をもってやり遂げる責任があること。手厚い福祉が拡充し安定した生活状態になった国々は、「手にした安全と安定の遺産を、今度は、身を守り生き延びるために家と国を離れざるをえなかった人たちと共有すること」。そうすることによって、「キリスト者として、自らの存在と行動の基盤を、つねに、愛と信仰と希望のうちに見いだす」ことができること。
③使徒パウロはキリスト者に愛のわざを強いているわけではないこと。むしろ「彼等の貧しい人への配慮と気遣いに、その愛の「純粋さをたしかめ」ようとしていること。すなわち、「貧しい人に寛大であることの最大の動機づけ」、つまり「献金という行為」の動機づけは、「ご自分を貧しくなさろうとした神の御子の選びにある」こと。
④キリストのこの選択、つまりこの自己「放棄」は、それによって神の救いの恵みが人々にもたらされることになった「恵み」の源として、今も働いている神のみ業なのであるから、これこそ「わたしたちの主イエス・キリストの恵み」なのだから、それを受け入れることによってのみ、私たちは自分の信仰を具体的かつ表裏なく表現できるのであること。
⑤大事なのは、「必要なものに事欠く人がいないよう努力すること」であり、「救いとなるのは行動主義ではなく、心からの寛大な気遣い」であり、「その気遣いがあるから、貧しい人に兄弟として近づくこと」ができるのであること。「貧しい人はわたしに手を差し伸べ、陥った無気力から目覚めさせようとして」いること。
⑥「真の豊かさは「虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする」ような、ため込まれた「地上の富」(マタイ6・19)にあるのではなく、だれも見捨てられたり排除されたりすることがないよう、互いの重荷を負えるようにする相互愛にある」こと。
⑦「自分を満たすものを探し求める」人たちは、「何が自分にとって真に必要なのかの理解を得るため、小さくされた人、弱い人、貧しい人へと向かわなければならない」こと。「貧しい人との出会いによって、漠としたさまざまな不安や恐怖にとらわれなくなり、人生において本当に大切なもの、だれも奪うことのできないもの」、すなわち「まことの無償の愛に至れる」のであること。「貧しい人はわたしたちの施しの対象ではなく、わたしたちを不安や浅薄さの束縛から解放してくれる主体」なのであること。
今年の「貧しい人のための世界祈願日」のメッセージは、大要、以上のような内容として出されています。
各小教区、修道院におきましては、年間第33主日・11月13日の主日、教皇様のこのメッセージに触れて下さるように、お願い申し上げます。
カトリック中央協議会
2022 年第6 回「貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ