聖霊降臨の主日 新潟教会インターナショナルミサ

新潟教区の皆様、聖霊降臨おめでとうございます。教会の誕生日である聖霊降臨の主日、きっと皆様それぞれの共同体で喜びの時を持たれたと思います。

新潟教会では、インターナショナルミサが行われ、日本、ベトナム、フィリッピン、インドネシア、台湾、韓国、ブラジル、スリランカの八カ国出身の、合計100名を超える方々が参加しました。ミサの前、9:00からルルドのマリアの前でロザリオの祈り。その後、ベトナム出身信徒による、マリア様に花を捧げる踊りが捧げられました。9:45ごろ始まったミサは基本的に日本語で行われましたが、朗読と説教を日本語、英語、ベトナム語で、拝領と閉祭の歌も英語、日本語、ベトナム語で歌いました。そして、派遣の祝福がベトナム語で行われました。拝領祈願の後は、八つの国の言葉で「こんにちは」を何と言うのか覚え、ミサの後、互いに挨拶を交わしました。

ミサ終了後は、駐車場スペースで日本、ベトナム、台湾、フィリッピン、インドネシアの家庭料理が振る舞われ、おいしくいただきながら交流しました。そして、音楽に合わせて踊ったり、ベトナムの羽けりを楽しんだり、ご高齢の方々は信徒会館でくつろぎながら踊りを眺めたりと、楽しい時を過ごしました。弟子たちが出かけて行き、様々な国出身の人々に出会っていった聖霊降臨にふさわしいお祝いの一日となりました。以下、説教の要約です。

わたしたちは、皆、日本人も含めて、お互いに外国人ですね。それぞれが違う国で生まれたのですから。そして、同時に、わたしたちは皆、キリストに結ばれた家族です。「違い」と、「一つ」ということが、どちらも大切です。

昨年のワールド・ユース・デーで教皇フランシスコは、「教会には、すべての人に居場所がある。」「みんな、みんな、みんなです!」と呼びかけました。

文化の違いを大切にするということ。そして、すべての人が同じ教会家族のメンバーだということを、是非大切にしていきたいと思います。新潟教区の宣教司牧方針は、そのような理解に基づいて書かれています。

教皇フランシスコの使徒的勧告、『福音の喜び』の中で、信仰と文化の関係について次のように教えられています。

キリスト教の2000年の歴史の中で、数え切れないほど多くの民族が信仰を伝えられてきました。そこに聖霊が働き、信仰はそれぞれの文化の中で受け入れられ、深められ、豊かにされていきました。

信仰は、特定の文化の中で育ちます。繰り返します。信仰は、特定の文化の中で育つのです。聖霊は、文化を通して信仰を育てるのです。

皆さん、考えてみてください。日本で、ミサの式文が変わっただけで、良く祈れない、心が落ち着かない、そんな気持ちになったと思います。

自分が他の国に行って、これまで自分の国で慣れ親しんできた信仰のあり方を完全に捨てて、違う国の文化に沿った信仰を生きるように強制されたら、どんな気持ちになるでしょうか。それは、もはや自分の信仰を失うのと同じです。だからわたしは、時々自分の国の言葉でミサに与ったり、赦しの秘跡を受けたり、自分の国の習慣で祈ることが大切だと考えています。

キリスト教の宣教は、新しい文化に入っていったとき、自分の文化を捨てて新しい文化で上書きするのではありません。逆に、相手に文化を捨てさせるのでもありません。そうではなくて、自分の信仰の上に、新しい文化の信仰を積み重ねるのです。それは、違う文化の人を受け入れる側の共同体にとっても、同じ事です。自分が慣れ親しんだ文化にやってきた、新しい文化の信仰を持つ人と交わり、その人々から学ぶことによって、信仰がより豊かになるのです。

もっと言うと、国の違いだけではなく、世代の違い、性別の違い、立場の違いを持った人々が、相手の言葉、文化、ものの見方や感じ方を学び、互いに変えられていくことで、より豊かにされていくのです。

イエスは神であったのに、人となられました。どうしてでしょう?それは、愛しているから。大切にしているから。自分が、神の身分のままではなく、人間という大切な相手に合わせ、人となってくださった。自らが変わられた。

聖霊を受けた後、弟子たちは、閉じこもっていた家から出て行って、様々な国出身の人々に分かる言葉で話し始めました。ペトロの言葉を、外国の人が分かるようにと聖霊が働いたのではありません。ペトロが様々な国出身の人に合わせるように、聖霊が働いたのです。

『福音の喜び』117項で、教皇フランシスコは次のように教えています。

聖霊は、神の民に一致と調和をもたらします。その聖霊は調和であり、御父と御子の間の愛のきずなでもあるのです。

わたしたちも、聖霊の導きのうちに、新しい人、文化に出会い、愛のうちに互いのことを知り、キリストに向かって新たにされていきましょう。