今朝10時からの新潟教会 主の降誕日中のミサは、今朝早いフェリーで佐渡から帰ってこられた主任司祭の田中神父様、そして町田神父様とわたしの共同司式で行われました。雪の無い、比較的穏やかな天気となり、昨晩の夜半のミサに参加された方も、昨晩は来られず、今朝だけ参加された方、特にご年配の方々が参加することができました。恵みの時に感謝です。ミサ後は信徒会館2階ホールにてお祝いのひとときを持ち、歌やゲームで楽しみました。準備を担当して下さった皆様、ありがとうございました。以下、説教の抜粋です。
「光は暗闇の中で輝いている。」とありますが、光が暗闇を覆い尽くし、すべてを明るく照らしたのではありません。光は暗闇の中で、ただ輝いているんです。昨日、夜の主の降誕ミサでキャンドルサービスを行いました。暗闇の中、小さな光が灯されるわけですが、ろうそくの光で昼間のように明るくなるわけではなく、闇の中に小さな光が輝いています。ちょうど、そのようなイメージです。これは、とても大切なところです。何らかの問題があるとき。例えば戦争が起こっているとか。それとか、自分が間違いを犯したけれどもそれを認める勇気がないときとか。そんなとき、イエスは戦いを止めたり、自分の間違いを認めさせたりする、といっているのではなく、ただそこにおられる、といっているのです。
ウクライナでも、パレスチナでも、ミャンマーでも、希望の全く感じられない中、闇の中、恐怖の中、怒りの中に、イエスは輝く小さな光のように生まれ、その光は決して消えることがないのです。ずっとそこにあって、ともにおられるのです。わたしの心の闇の中で、イエスは小さな光として輝いているんです。闇を消してしまうのではなく、そこで小さく、強く、輝いているんです。
皆さんの闇は何ですか?考えたり、思い出したりすることすらいやで、蓋をしておきたい、消してしまいたい、そんな闇こそが、皆さんの馬小屋です。その闇の中に、イエスは生まれてくださるんです。受肉するんです。問題を解決するのではなく、わたしが消してしまいたい間違いや恥の中に、神が来てくださり、小さな光を輝かせている。ずっと、永遠にとどまり、愛を注いでいる。インマヌエル、ともにいてくださる。わたしの問題をこそ、しっかりと受け止め、わたしの問題を含めてすべてをそのまま愛してくださる。そこに希望が生まれ、一歩を踏み出すことができる。そういうことです。
「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」
これは、何か偉い資格を与えるとか、高い地位に就かせるとか、素晴らしい環境を与えるというようなことではありません。イエスと同じように、わたしたちのいのちを通して、存在を通して、神の愛を輝かせる者としてともに歩むよう招いておられるということです。イエスが暗闇の中で輝いていることを証し、伝えていきなさいと招かれているんです。それは、自分に何かができるとか、どんな立場にいるとか、何を持っているからできる、ということではありません。むしろ、何もできないけれども、何も持っていないけれども、神から愛されていると信じている。という生き方こそがどんな闇の中でも輝く光を証しするのです。
成井大介司教