「感謝の心をもって生きる」
「キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい」(コロサイ二章七節)
新潟教区の皆様、主の降誕と新年のお慶びを申し上げます。
年頭に当たり、新司教館建設特別献金にご協力頂いた教区の皆様、他教区の皆様、そして修道会の方々に、心から感謝申し上げます。新しい司教館の本体は工事が終わり、昨年十一月はじめに旧司教館からの引っ越しが完了しました。その後、これまでの司教館の取り壊しや今後も活用していくヴィアンネ館の改修、新司教館中庭の整備、さらに新潟教会関係の工事が続いていますので、すべてが完成するのはもう少し先になりそうです。竣工式は五月十日を予定しております。これで「創立から一〇〇年を迎える独立した地方教会として、この地における福音宣教に責任を持って取り組むための中枢(募金呼びかけの言葉)」が整うことになりました。今後は、新しい司教館をしっかりと活用し福音宣教と司牧の責任を果たしていきたいと思います。特別献金や工事費用の詳細については、別途、建設委員会から皆様に報告いたします。
感謝の心をもって生きる
さて、東日本大震災が発生してから、まもなく三年が経とうとしています。日本の教会は、発生直後から、いわゆる『オールジャパン』体制を敷き、全国の教会共同体が協力し合いながら被災地である仙台教区を支援してまいりました。実際に現地に出かけて行きボランティアに取り組む方もおられれば、後方支援に取り組まれる方、また祈りや献金のうちに支援をされる方など、まさしく教会共同体の多様性が支援活動にも充分に生かされてきました。
時間の経過とともに被災地が順調に復興しているのかと言えば、残念ながらそう断言することはできません。被災地の沿岸各地に設けられているカトリック教会のボランティアベースからは、毎日のように活動報告がメールで送られてきますが、復興の歩みはそれほど速くはありません。とりわけ原発事故の影響で容易に帰還することが叶わない地区もある福島県にあっては、将来への明確な道筋が見えない中で、健康への不安や生活への不安のなかに、毎日を過ごされている方々も多くおられます。いったい何人の方々が自分には責任のない出来事のために、「普通の生活を送る」という当たり前の願いでさえ叶わぬ毎日を強いられていることでしょう。私たち新潟教区は仙台教区と背中合わせの教区ですから、新潟に全体を統括する支援の本部を設けるのではなく、教区内各地からそれぞれ個別に支援を行ってまいりました。これからも被災地の方々を忘れることなく、それぞれのできる範囲で歩みをともにしていきたいと思います。
昨年十一月には、史上最強とも言われた台風三十号がフィリピンを襲い、レイテ島などを中心に甚大な被害をもたらしました。亡くなられた方も多数おられます。私たちの教区にはフィリピン出身の信徒の方が大勢おられることはご存じの通りですが、その中には親戚や知人が被災された方も少なくありません。すでにいくつかの教会共同体では、所属するフィリピン出身信徒のために、様々な救援活動をはじめたところもあります。新庄教会では、被災者への祈りの様子が全国ニュースで取り上げられたこともあり、地区の近隣の方々が義援金を教会まで持参くださいました。
カリタスジャパンでは復興支援のための募金を行ってきたところですが、どうぞフィリピンの兄弟姉妹にも思いをはせ、祈りと献金をもって復興支援に取り組みましょう。東日本大震災を通じて私たちは、世界中の兄弟姉妹から寄せられた連帯の表明と支援や祈りによって勇気づけられました。またそれによって、被災後の恐怖と不安が希望と安心へ変わることを体験しました。大震災では、フィリピンの教会からも支援のメッセージや献金が寄せられ、多くの方が祈ってくださいました。私たちは感謝の心をもって、互いを支え合って生きることの大切さを思い起こしましょう。豊かに与えられたのであれば、その感謝を、信仰における愛の行いへとつないでまいりましょう。
教皇フランシスコは、昨年十一月六日の一般謁見で、次のように語りかけられました。
「愛がなければ、あらゆるたまものとカリスマは教会の役に立ちません。なぜなら、愛のないところには、むなしさだけがあり、むなしさはやがて利己主義で満たされるからです。・・・だから、わたしたちを一致させる愛が必要なのです。わたしたちが行うもっともささやかな愛のわざが、すべての人によい効果を及ぼします。それゆえ、教会の一致と愛の交わりを生きるとは、自分の利益を追求せず、むしろ、兄弟と苦しみと喜びを共有し(一コリント十二:二十六参照)、もっとも無力な人、貧しい人の重荷をすすんで担うことです。このような兄弟愛にもとづく連帯は、単なることばの綾ではなく、キリスト信者の交わりの不可欠な部分です。もしこの連帯を生きるなら、わたしたちは世において神の愛のしるし、『秘跡』となります」
私たちの教会共同体が、「神の愛のしるし」となることができるように、兄弟愛に基づく連帯のうちに、愛の奉仕に努めてまいりましょう。
宣教宣言を生きる
一昨年の十月、新潟教区の一〇〇周年にあたり、新潟教区の宣教宣言を作成いたしました。これは教区宣教司牧評議会での議論に基づいて定められた教区の優先課題を基礎としながら、新潟教区の一人ひとりが福音宣教に取り組む決意を新たにするための宣言です。一〇〇周年の教区大会においては、多くの方に宣教宣言に署名を頂きました。またご自分の決意を記してくださった方も多数おいでです。提出いただいた宣教宣言は、司教館で保管しています。お手元にそのコピーとなるカードをお持ちのことだと思いますが、どうぞしばしばそのカードを見つめ直し、ご自分の宣教への熱意を奮い立たせ、さらに人間の弱さの内に働かれる神の力をうけて、勇気を持って励むことができるように、お祈りいただければと思います。
新しい年の初めにあたり、新潟教区の宣教宣言をあらためてここに記します。
「私たちカトリック新潟教区は、秋田、山形、新潟の三県において主イエスの弟子として福音に生き、またその証しに生きて教会共同体を育て、今年で創立一〇〇周年を迎えました。
私たちはこの地域において小さな共同体ですが、地域に根ざして生きるなかで、キリストの弟子としての生き方を模索し実践してきました。これまでの一〇〇年の歴史を踏まえながら、あらためて社会の現実の中で福音の価値を告げ知らせ、その証しに生きていくことを決意しています。
新たな一〇〇年の初めにあたり、私たちは以下の課題に優先的にとりくみます。
A: 世代、国籍、文化の違いを乗り越え、喜びと思いやりにあふれた「私たちの教会」を育てる。
B: 教区、地区、小教区において、お互いの情報を共有し交わりを深めることで、社会における教会の役割を自覚する。
C: 継続した信仰養成を充実させ、社会の現実のうちで言葉と行いを通じて福音を証しする信仰者へと脱皮する。
私たちは新潟教区の信仰の先達である福者ルイス甘糟右衛門をはじめとする五十三名の米沢の殉教者の信仰に励ましを受け、勇気をもって社会の現実に立ち向かい、キリストの愛を証しする業に取り組んでいくことを誓います」
私たちは教区一〇〇周年の記念行事の日からはじめて一年間、全世界の教会とともに「信仰年」を過ごしてまいりました。「信仰年」を過ごす中で私たちは、信仰という賜物を受け継いだ者として、信仰の原点をあらためて見直すことによって、「主のもとにとどまり、主とともに生きようとする決断」(「信仰の門」10)を新たにし、自らの言葉と行いでそれを証しする決意を深めてまいりました。その間に、まさしく言葉と行いで福音に生きる姿を具体的に示される教皇フランシスコが選出されました。加えて新潟教区では、ローマ教区主催の「聖母とともに過ごす祈りの夜」に参加を求められ、秋田の聖体奉仕会を会場に、世界中のマリア巡礼所とつながって祈りを捧げるという、具体的な信仰の喜びを体験しました。聖体奉仕会の修道院は、その出来事も含めて、新潟教区の霊的成長のために不可欠な場所であると、あらためて確信いたしました。「信仰年」という、自らの信仰者としての生き方を見直す機会を与えられたことに感謝し、福音宣教に取り組んで生きる決意を新たにいたしましょう。
おわりに
新しい年の幕開けにあわせ、教区でも新たな動きがあります。新潟県の長岡地区では、表町と福住の二つの小教区が合併し、一月五日のミサをもって新たにカトリック長岡教会として歩みを始めます。二つの教会にはそれぞれの歴史がありますので、共同体の皆様にとっては大きな決断であったと思います。鉄道をはさんで比較的近距離にあることや、司牧を担当する司祭の不足、信徒の高齢化、将来的な建物の維持管理の課題などを念頭に、数年前から両小教区の役員の皆さんを中心に、何度も話し合いをしていただきました。信徒総会にも諮った上で、私も含めて関係する多くが賛同してくださる合併案ができあがったと思います。小教区聖堂は表町に集約されますが、今回の犠牲とそれに伴う痛みの大きい決断を、勇気と愛をもって受け入れてくださった信徒の皆様に心から感謝申し上げます。
なお教区の司祭召命の危機的な状況は変わりません。もちろんこればかりは主ご自身からの呼びかけの問題ですから、私たちが勝手に生み出すことはできません。しかし中には、呼びかけに気がついていない青年が教区にいるかも知れません。司祭や修道者の道を目指す若者が新潟教区に与えられるように、さらなるお祈りの継続と志のある青年への勇気づけをお願いいたします。
今年の四月二十九日には定例の教区宣教司牧評議会が開催されます。教区優先課題についての取り組みや、信仰年への取り組みの成果について、評議員の方には報告をお願いします。また教区内の小教区には、信徒の会の運営にあたり様々な方式が見られます。はたして運営方法を統一した方がよいのか、または他の方法が考え得るのか、一度意見の交換をしたいと思っています。これについても評議員の方に、各地区の実情を報告いただきますので、準備のほどお願いいたします。 それでは、新しい年の初めにあたり、皆様一人ひとりの上に、慈しみ深い父である神の豊かな祝福を祈ります。
二〇一四年一月一日