本日、素晴らしい快晴の中、長岡教会の献堂式が行われました。長岡では1914年に宣教が始められ、1929年に福住教会(当時は桜木町教会と呼ばれた)が、1963年に表町教会が創立されました。二つの教会は、2014年、長岡宣教100周年を機に合併、そして今日、表町教会があった土地に新しく長岡教会が献堂されました。
コロナ感染症蔓延防止のため、参加人数を制限し、祝賀会を行わない式となりましたが、喜びにあふれた式でした。真壁神父様を始め、教会建築のために力を尽くしてこられた教会共同体の皆様、本当におめでとうございます。以下は、献堂式式次第に掲載していただいた挨拶です。
長岡教会新聖堂献堂にあたり
天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。(マタイ13章31-32節)
長岡教会共同体の皆様、新聖堂の献堂、誠におめでとうございます。1914年に長岡で蒔かれた福音の種は、この地に深く根を張り、揺るがない幹をもち、しなやかに枝を広げて成長しました。106年にわたる長岡における宣教の道のりの中で、今また新しい一歩を踏み出されたことに、今は神のもとにおられる信仰の先輩方も喜んでおられることと思います。
アフリカで働く宣教師に聞いたのですが、あちらには「早く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければ、みんなで進め」ということわざがあるそうです。2014年、宣教100周年の機会に福住教会と表町教会が一つの長岡教会共同体として合併し、このたび新聖堂が完成しました。その準備、調整はきっと非常な困難を伴うものであったのではないかと想像しますが、福音宣教という長い道のりを将来にわたって歩いていくためにふさわしい共同体と聖堂を作られたのでは無いかと思います。
小さなからし種から育った大きな木に鳥が来て羽を休めるように、新しい聖堂が地域に開かれ、多くの人々の止まり木、よりどころ、安らぎの場となるようにと願っています。木は自らの果実を食べることはできません。鳥が来て、果実を食べて、飛んでいって種を落とし、また新たな木が誕生していきます。教会も、自分たちだけでは無く、まわりの人々に広く利用されてこそ、福音という果実を遠くまで運んでいくことができるのだと思います。
これからの道のりを神様がともに歩んでくださることに信頼し、共同体としてともに福音の喜びを伝えていってください。聖ヨセフの取り次ぎによって神の豊かな祝福と導きがありますようお祈りしています。
新潟教区司教
パウロ 成井大介