主の御降誕おめでとうございます

新潟教区の皆様、主の御降誕おめでとうございます。

コロナ禍が始まって2回目のクリスマスとなりましたが、昨年に比べて今年は少し落ち着いて来ましたので、御降誕の夜半のミサも落ち着いて集うことができたのではないでしょうか。救い主は世界のすべての人のためにお生まれになりました。その愛と恵みをしっかりと受け止め、分かち合い、この降誕節を過ごして参りましょう。以下は新潟教会の主の降誕夜半のミサの説教です。

「あなたがたのために、救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

皆さんはどのような気持ちで今年のクリスマスを迎えておられるでしょうか?「あなたのために」救い主が生まれた、というとてつもない出来事を、今、どのように受け止めていますか?

この時期、多くの人は忙しくしています。そして、一年を振り返って、あれが出来なかった、これも出来なかった、ああしておけばよかった。そんなことを考えたりします。それで、来年はもっとこんなことをしようとか、こんな風に出来たらなあとか自分に言い聞かせたりします。

もしくは、人間関係がこじれてしまったりして、自分や人に対してうんざりしている方もいらっしゃると思います。ひょっとすると、自分は、もしくはあの人は、主の降誕を祝うのにふさわしくないと感じたりすることもあるかも知れません。でも、そんなあなたのために、救い主は生まれました。何をしたか、何をしなかったか、何が出来るか、何を持っているかに全く関係なく、神があなたのために生まれてきました。

町ではイルミネーションが輝いて、綺麗ですね。贈り物を買ったり。おいしいものを食べたり。華やかな雰囲気であふれています。でも、聖書が伝える御降誕の様子には、あまりそぐわないですよね。忙しい町で、立ち止まって、静かに、神と人の愛を受け止め、愛をお返しするような気持ちになりづらい。ただ、慌ただしく、賑やかに時間が過ぎていくように感じます。でも、そんな街、そんなあなたの所に救い主が来て下さるのです。

コロナ禍は今も私たちを不安にさせます。教会活動や日常生活での様々な制限は、ともすれば私たちの前向きな姿勢ややる気を削いでしまいます。弱い立場に置かれた人々は、ますます厳しい生活を強いられています。このような生活が続くと、人との関係が薄くなり、教皇フランシスコが度々言われる、「無関心というウイルス」に冒されてしまいがちです。一体いつまで?と、先が見えない暗闇にいるような思いをすることもあるのではないでしょうか。

しかし、そんなあなたのために、救い主は生まれたのです。あなたと、あなたの周りにいる人と、世界のすべての人のために、救い主が生まれたのです。

今、ここで、あなたは、あなたのために救い主が生まれたと言うことをどのように受け止めていますか?

救い主が生まれたと言うことは、神が、ご自分の独り子を与えるほど、世を愛されたということです。

神の愛には、それを受けるための条件がありません。こういうことをしたら愛を受けることが出来るとか、ああいう人なら愛を受けることが出来るとか、こんな人は愛を受けるべきで無いとか、一切の条件がありません。神は、一方的に、人間的な考え方では理不尽なまでに、どんな人も、すべての人を、独り子を通して愛されるのです。その愛を、独り子の誕生という形を取った愛を、私たちに受け入れてほしいとおっしゃっているのです。イエス様の誕生の様子は、そのことをとてもよく表しています。

ここから、少し子どもの皆さんにもわかるようにお話ししたいと思います。

カトリックの幼稚園や、教会学校ではイエス様の誕生の様子を劇にすることがありますよね。私の好きな場面は、マリア様とヨセフ様が旅をしてベトレヘムについて、宿のドアをトントンとたたいて、「すみません、泊めて下さい」と言って、宿の人が「ダメダメ、部屋はもう空いてないよ」という場面です。子どもたちが演じるマリア様とヨセフ様が困った顔で、また次の宿屋のドアをノックするのは、ほほえましいですね。

皆さん、マリア様とヨセフ様はね、家が無いことや、寒さも大変だったと思うけど、誰も受け入れてくれないことが辛かったと思うんですね。知らない町で、誰にも親切にされず、受け入れてもらえない。きっとそのことが一番辛かったのでは無いかと思います。

実は、マリア様とヨセフ様は、皆さんの心のドアもノックしているんです。あなたの心の扉をノックして、「今日、あなたの所に泊めてくれませんか?子どもが生まれそうなのです」と言っているのです。あなたの所で、救い主を生みたいのです。どうか受け入れて、一緒にいてください。一緒に救い主を迎えてください。一緒に神様の愛を分かち合って下さい。一緒に喜んでください。マリア様とヨセフ様は、そう言ってあなたの心のドアをノックしているんです。

だから、皆さん、ぜひ自分の心のドアを開けて、マリア様とヨセフ様を受け入れて下さい。イエス様が、あなたの所に来ることが出来るようにして下さい。あなたの心に生まれるイエス様を、しっかり受け止めてください。イエス様は、あなたと一緒にいたくてこの世に生まれて下さったのです。

そしてね、マリア様とヨセフ様は、この世界のすべての人の心のドアをノックしているんです。この新潟市でも、すべての人の心をノックしています。自分が好きな人も、嫌いな人も、みんな神様から愛されているんです。だから、イエス様の誕生を、大勢の人と一緒に喜んで下さい。

先ほどお話ししたとおり、神様の愛を受けるためには、何の条件もありません。自分が理想とする人になれなくても、背伸びして自分を立派に見せなくても、どこかに神様を探しに行かなくてもいいんです。ただ、今あなたがいるところに、そのままのあなたのために、今日、イエス様が来て下さるのです。クリスマスと言う日は、そうやって来て下さるイエス様をありのままの自分として受け止めて、感謝する日です。

闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。

しばらく、沈黙のうちに主の御降誕を通して与えられた神の愛をかみしめましょう。