教区信徒大会座談会

10月23日に行われた新潟教区信徒大会では、司教講話の代わりに座談会が行われました。オンラインではあっても、シノドス(ともに歩む)の精神が見える形で現される集いにするため、また今後各小教区、奉献生活者の会共同体においても同じように話し合いを進めていただくためです。当日参加できなかった方々のために、座談会登壇者の許可をいただき、発言の要旨を紹介します。


高齢者にエール!
高田教会  赤木啓子

  • 私は、前期高齢者の最後の年齢になりました。
  • 60代の終わりから信徒会長(評議会会長)を4年務めました。ちょうど30年司牧された司祭から新しい司祭への交替の時期でした。
  • 当時、高齢者は教会活動の大きな柱の一つを担っていました。ミサに必ず与る信仰の姿、教会の定期的な掃除、維持費をきちんと払う、行事ごとに美味しいものを作ってくれるなど頼りになる存在でした。
  • コロナにより、教会活動が制限されるようになり高齢者の活動も制限されてしまいました。そして、少しずつ歳もとられました。

会長をしている時に感じたこと:

  • 以上のように教会を今も支えて下さっている高齢者の皆さん。熱い思いがある分だけ、司祭に従っていくという伝統的な信仰のあり方に慣れ親しんでこられたため、「変わること」「変えていくこと」に対する不安や不信、批判の声は大きかったです。時代は、ずいぶん変わっているのですが、「司祭がしてくれてあたり前」なことが必ずしもそうならない現実がありました。
  • そのため、高齢者の力が大きかっただけに、教会の中での不満や批判の声が大きかった時期がありました。司祭がすべて決めて進める教会から司祭と信徒が共に神のために働き、共に考える教会への転換の時期でした。移住者の皆さんに対しても、教会に対する期待は大きかっただけに、できないことも増えて失望されることもありました。「ごめんねー。できないんだよ。でも、どうしたらいいか、一緒に考えよう。」移住者の皆さんにも教会共同体の主体者になってもらい一緒に作っていく様に努めました。神父は忙しく心身ともに疲れ切っているという話をよく聞きますが信徒は期待されていないのでしょうか。いっしょに教会の事を考えたい。司祭を尊敬し信頼していることには変わりないのですから。
  • 会長として何ができるか、司祭と信徒、高齢者と次世代日本人と移住者など、どうやって繋いでいったらいいのか模索しているのが現状です。
  • 必死に戦中戦後を生きてこられた高齢者のみなさんは、こうあるべきという信念や正義感で頭や心の中がいっぱいになっていて、違うものを受け入れたり変わることに対して頑なになりがち。(私も含めて)そのために心が乱れ、苦しい思いもしてしまう。人はみな違って当然と、信頼の心を持って理解できなくてもいったん受け入れる場所を心の中に持つように努めることが必要なのではないでしょうか。愛のある助言と不満、批判は違います。不出来で不十分な後輩を温かい目で見守ってほしい。イライラが減れば心も穏やかになります。
  • 私の神経験。みことばの祭儀等を信徒がやり始めたころ、見ている側にいると出来ていないことばかりに目がいってしまう。その時イライラしている自分がいました。その時、ふっと心の中で声が聞こえたのです。「心配しなくても良い。足りないところは私が補っているから」と。イエス様がその人の後ろから支えている姿が心に浮かびました。感謝。
  • 最後に、詩編のことば(92章1節)の「白髪になってもなお実を結び」フランシスコ教皇のメッセージの中のことば。人生100年時代。心豊かに先をいく先輩たちに励まされながら私たちも続いていきたいと思います。

成井:

  • 教会で、高齢者が背中で語る信仰には説得力がある。自分の家には仏壇があり、祖母がその前で祈っていた。その背中は自分に祈ることの大切さ、自然さを教えた。教会でも子どもたちが高齢者の祈る姿を見て育ってほしい。
  • 教皇フランシスコは、最近高齢の方々への連続講話をされました。そこで教皇は、「わたしたち高齢者は」と語りかけます。教皇も高齢者。それぞれが、それぞれのやり方で、信仰を伝えていきたい。

あなたがいて共同体が生まれる
高田教会  堀田ミラ

30年前堀田さんと結婚して義理の両親と同居しました。義理の両親は私が毎週日曜日、教会に行くのが好きではありませんでした。でも年数が経って日曜日に教会に行く習慣になれてくれました。そこで共同体の活動に参加できるようになりました。

共同体の中に入っていろいろなことを学びました。友達も増えました。そしてフィリピン人シスターも来てフィリピンコミュニティができました。教会行事は力を合わせて楽しくできる時期がやってきました。義理の両親の看病しながらで厳しい時もありましたが、教会行事には続けて参加していました。みんなで助け合いながらクリスマス会、黙想会、フローレス・デ・マヨ、毎月1回の国際ミサ、英語ミサ、聖体奉仕、ファミリーデーなどシスターを中心に企画しました。2011年には東北大震災のチャリティのCDを作りました。

2020年に義父が亡くなりその後、コロナが発生しました。そしてミサが出来なくなり、教会に来られる人が少なくなっていきました。一方、家族連れの労働者の人が教会でよく見かけるようになりました。労働者の子どもたちが土曜学校にも入りました。私も、孫を連れて土曜学校に入り初聖体の勉強の手伝いを始めました。誰もする人がいないという事でフィリピンコミュニティ代表としてマリア会の副会長もすることになりました。少し大変です。でも、私は神様の道具と思っています。できる限り教会の手伝いをします。

共同体の役割の大切さ:

  1. 誰かが神父さんの相談がある時、私は通訳をします。
  2. ミサの時のお知らせの通訳。特にコロナで献金が70%減った時期もありました。
  3. 両親の介護で忙しい時は、みなさん、助け合って行事を続けられました。
  4. フィリピンと日本の教会の中の様子の違いを少しでも伝えるようにしています。

希望:

  • 司祭がいる教会をみなさんは願っています。私たちにとってご聖体をいただくのは体と心のビタミン。ほっとします。小さい時から親に「一週間のうち一時間でもよいから教会に行って神様に感謝の祈りをささげるように教えられました。みなさん、同じ考えだと思います。
  • 維持費を納入する人が増えることを願っています。教会がつぶれたらたいへんです。大きな金額でなくても自分に負担がかからない金額でいいのです。少なくても連続していけば大きな金額になります。If  there  is  a  will  there  is  a  way.(意志があれば、道は開ける)フィリピンでは週に何回もミサがあります。教会は私たちの神様の家です。
  • 楽しい共同体をもう一度見たい。どうして楽しい共同体だったのでしょうか。それは、あなたがいるから、私たちがいるから。誰か司祭が来てもシスターが来てもあなたたちがいなければ楽しい共同体にはなりません。もう一度考え直してください。神様は自分の命を犠牲にして私たちを守ってくださいました。それを忘れないで下さい。

成井:

  • 私も小さい頃インドネシアで過ごし、また海外で働いていたことがありますので、移民の一人です。自分が行った先の国で、自分の国の言葉でミサに参加できること、赦しの秘跡を受けれることは、移民である私にとってとても大切なことでした。それと同時に、行った先の国の人々の共同体との交わりも私にとって大きな支えでした。フィリピンにいた頃、ミサの時に隣の人と手を繋いでアマ・ナーミンを祈り、本当に力づけられました。どちらも大切なのだと思います。
  • ミラさんがおっしゃったように、一人一人が、共同体を作っている。たとえ3年しかいなくても、その人も一緒に共同体を作っている。誰もが「私の教会」と誇りを持って言える教会。そうありたい。

世代や国籍を越えた切れ目のない居場所づくり
新潟教会  小林祐未

若い視点で見て、今の新潟教区の教会共同体をどう思うか:

  • 帰省した時に、皆が一度は顔を出す、家族のようなあたたかいところ。青年で言うと、他教区との繋がりは少なく、新潟教区内での活動が多いと感じますが、新潟教区の中での繋がりは、途絶えることなく続いている感じです。新潟教区の中で頑張っている青年、その他の活動を頑張っている青年が、お互いにいろいろ吸収してきたものを伝えて、良い影響を与え合うことができるといいなと思います。
  • 一方で、青年としては、年代ごとの居場所と、教会の中での役割などに難しさを感じることがあります。新潟教区では、教会学校を卒業した後の中高生会はもうほぼなくなっていて、その後の大学生以上の青年たちがなんとなく集っている。また、他教区では、青年活動を中心となって引っ張っていっているのは、だいたい高校を卒業した18歳~30代の人たちになりますが、新潟教区では少子高齢化もあり、教会をこれから中心となって担う(引き継ぐ)年代と青年活動を中心となって進める年代が重なるところが難しいと感じています。例えば、青年が教会の中で教会学校や中高生会などの中心的役割を担うことで、小学生~青年までの下の世代での人の繋がりができ、その結果、各年代での途切れない居場所も作ることができるのではないでしょうか。
    また、下の世代との繋がりだけではなく、上の世代の皆さんとも繋がるために、青年たちが今どんなことをしているのか、知っていただけるような機会が増えていけば良いと感じます。

若い世代の皆さんは、コロナ禍であってもつながって、マイペースに活動を進めているように見える。どのような希望をもっているか。また、海外からの青年が多い。どのようにともに歩むか:

  • 青年の繋がりとしては、直接会えないことで物理的に、心理的に、少し希薄になった時期もあったと感じますが、コロナ禍であってもオンラインでつながり、途切れることがなかったのがよかったです。オンラインは遠方の青年と繋がることができる良さがありますが、やはり対面で会うことの「楽しさ」「心の距離の近さ」が一番だと皆感じています。「はやくみんなで集まりたい。」という気持ちが今の青年を繋ぐ希望と感じます。
  • また、コロナ禍いろいろな活動をする中で、海外の青年との繋がりにおいても、「対面で」ということは大きなキーワードになっています。対面で、かつ、海外の青年を「受け入れる」という姿勢ではなく、日本人の私たちから言葉や歌、ダンスなどの各国の文化に「触れる」「入っていく」姿勢を大切に、一緒に何かを進めていきたいと思います。

成井:

  • シノドスの分かち合いでは、「高齢化が進み、バトンを渡す人がいない」とか、「若者がいない」との報告がありましたが、コロナ禍でも活発に動いていたのが青年の皆さん。そして、小教区、地区、教区という枠を超えて、自由に活動しています。青年の皆さんは、教会の新しい形、活動の仕方を見せてくれているのではないでしょうか。
  • 教会学校、中高生会、青年会とのつながりは本当に大切だと思います。これも、小教区でできることではないので、近隣の教会が集まったり、教区レベルでできたら良いと思う。
  • 海外出身の青年の文化に入っていく、と言ってくれたが、素晴らしい!マリア様の月の歌やダンスなど、実はもう一緒にやってますよね。交わりというのは、どちらか一方が他方のやり方に合わせるのではなく、互いに学び合い、互いに変えられ合い、互いに成長する歩み。ぜひ続けてほしいです。

*発言内容については、時間の関係で発言できなかった部分も補足されています。