2022年主の降誕夜半のミサ

皆様、主の御降誕おめでとうございます。幼子イエスの祝福と平和がすべての人に豊かにありますようお祈りいたします。神が人となって私たちの間に生まれ、共におられるという出来事は、今年のクリスマスにあなたの心にどのように響くでしょうか。

以下は、クリスマスメッセージと主の降誕夜半のミサ説教です。

この夜、神が人となって人類を救うために来てくださったことをともに祝うため、私たちは集まっています。

皆さんは今年のクリスマスを、どのような思いで祝っていますか?クリスマスのミサで読まれるイエスの誕生の物語は毎年同じですが、それを聞く人によって、また聞く状況によって、受け止め方は違ってくると思います。今日、今の自分にとって、神が人となって生まれてくるとはどのような意味を持っているのか、しっかりと考え、受け止め、自分の仕方で神の愛に応えていけたらと思います。

まず、神が人々を救いに招く、その救いの歴史について考えてみましょう。第一朗読で読まれたイザヤの預言は、神がイスラエルの民のために救いを準備しておられることを告げています。旧約の歴史を通して、神は民を導き、守ってきました。その救いの歴史は、すでに創世記から始まっています。神は人をご自分の似姿として、特別な存在として創造しました。エジプトにいた民を脱出させました。シナイ山で契約を交わし、その約束の成就として、イスラエルの民はカナンの地に定住します。しかし民は、度々神を忘れ、神の怒りを買います。そのたびに民は神に立ち戻り、赦しを願うのです。

こうしてみると、旧約聖書で語られる神は、旅する民といつもともにいる方であることがわかります。また、民と契約を結び、それを遵守することで民を守られる方です。そして、偉大な力を振るって民を導く方です。

しかし、イエスの誕生によって、新しい仕方で、決定的な救いが示されました。イエスは旧約の時と同じように、人々とともにいる方です。しかし、より人々の近くでともにいるため、神は人として生まれてきました。

新約の時代においては、神は、契約を結び、それを守るかどうかではなく、愛によって救われる方です。民が約束を守ったとか、何かをしたからではなく、ただ、一方的に、理不尽に、すべての人を愛されます。愛とは、そういうものですね。相手が裕福だからとか、性格が良いからとか、見栄えが良いからとか、立場があるからではなく、ただ、無条件に相手のことが大切で、自分よりも大切な存在で、自分のいのちを投げ出してでもその人を大切にしたい。守りたい。愛とはそういう生き方のことです。神の愛を受け、私たちは救いに招かれているのです。

そして、神は弱い存在として生まれてきました。威厳を持ち、力強く民を導かれるのではなく、無力な赤ん坊となられました。人の弱さ、はかなさ、小ささをすべてそのままに、神がともにいて救ってくださるという、これ以上ないメッセージです。

ここで、主の降誕によって示された神の愛に応えるために大切な、いくつかの点について考えてみましょう。

まず、羊飼いたちがイエスを探しに行ったということです。神は人となり私たちの元に来てくださいました。そしてそれが天使たちによって羊飼いに知らされました。羊飼いたちは、「ああ、よかったね!」と言って満足し、どこにも行かず、留まることもできました。でも、飼い葉桶に眠る幼子を探しに行くことを決断し、出かけて行ったのです。私たちは、どうでしょう?神があなたのために人として生まれてくださったというメッセージを聞いて、その愛を受け止め、日々の生活の中で活かしていきますか?それとも、何もせずに、これまで通りの自分のまま、留まっていますか?

次に、イエスの元に駆けつける準備についてです。天使は、羊飼いに現れました。地位が低く、財産もなく、野宿している人たち。イエスの元に駆けつけるのに、何かの条件を満たす必要はありません。財産とか、心が清くなければならないとか、何も必要ありません。むしろ、今、そのままの私のためにイエスは来てくださったのですから、今の私、そのままの私を自分自身がまず受け止めることが大切だと思います。

次に、イエスをどこに探せばいいのかということです。神は、人となられました。小さく、弱くなられました。自分でご飯すら食べれず、トイレにすら行けず、完全に人の世話にならなければ生きていけない、弱い存在になりました。私たちは、まず、自分自身が、赤ん坊のように完全に神の世話になり、神に信頼して生きることでイエスに出会うことができます。そして、社会の中で最も小さな人を通して、イエスと出会うことができるのです。

そして、告げ知らせると言うこと。天使は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。と言いました。羊飼いという、身分が低く、学もない人々に、人々に伝えていく役割が与えられたのです。羊飼いたちは、「この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた」と聖書に書いてあります。知識や、技術や、経験があるかどうかではなく、むしろ、「私たちのために神が来てくださった」という喜びをどれほどしっかり受け止め、それを表していくかが問われているのではないでしょうか。

最後に、愛の行いについてです。クリスマスになると、町が飾られて、互いにプレゼントを贈ったり、コンサートに行ったり、美味しいものを食べたりと、いろいろなイメージがあります。そうしたイメージの一つに、チャリティーというものがあると思います。クリスマス募金とか、老人ホームや病院訪問とか、困難の中にある人のために何かをするときです。チャリティーという言葉を日本語に訳すと「慈善」で、なんとなく、「何か良いことをする」というイメージがありますが、チャリティーという英語は、ラテン語のカリタスから来ていて、元々は神の愛とか、無償の愛という意味です。つまり、チャリティー活動というのは、良いことをするというよりは、愛の行いをするということですね。神が、人を愛するあまり、人となってこの世界に生まれてきてくださった。だから、私も愛しましょう。神は、特に貧しく、弱い人を大切にされた。だから、私も同じようにしましょう。チャリティーの本当の意味は、そういうことです。クリスマスは、神の愛が表されたことを記念するので、まさにチャリティーを行うにふさわしいときなのです。

皆さんは、今日、誰と神の愛を分かち合いたいですか?家族や友達、身近な人。でも、どうか、世界で困難の中にいる人々を忘れないでください。

戦争で、ミサイルがいつ降ってくるかわからない土地に住む人々。家族や知り合いが殺されたり、戦っている人々。子どもを連れて故郷から離れ、知らない町、外国に避難している人々のことを忘れないでください。

以前お話ししましたが、私は知り合いのシスターがウクライナにいます。今、ウクライナの修道院で、避難民、特に子どもたちの世話をしています。そのシスターが2週間くらい前、近くの様子をビデオに撮って、Facebookで紹介してくれました。あたりは停電が続いていて、夜は真っ暗闇。車のライトだけが光っています。そんな中、シスターは教会に歩いて行き、真っ暗闇の教会の中、ろうそくの光だけでミサに参加します。

誰にも泊めてもらえず、暗闇の中、馬小屋で生まれたイエス。生まれてすぐ、王の虐殺を逃れるために、エジプトに逃げていったイエス。間違いなく、今ウクライナなどの国で同じような思いをして苦しんでいる人々、特に子どもたちの事を思い、心を痛めておられるでしょう。そして、私はあなたたちと同じように生まれてきたんだよ。あなたたちの気持ち、とってもよくわかるよ。あなたたちとともにいるよ。あなたたちを愛しているよ。そう言っているのだと思います。クリスマスのメッセージは、こうした人たちにとってどれほど大きな心の支えとなるでしょうか。

私たちも、イエスの思いを自分の思いとし、愛のうちに、祈りと行いを持って人々とともに歩んでいきたいと思います。幼子イエスの豊かな祝福が、皆さんの上にありますように。