皆様、新年明けましておめでとうございます。今日は午前11時から新潟教会で司教、ラウール神父、岡神父の共同司式による神の母聖マリアの祭日のミサが捧げられました。このミサの中で、昨日帰天された名誉教皇ベネディクト16世の永遠の安息のために祈りが捧げられました。なお、教区としての追悼ミサに関してはまた改めてお知らせいたします。
以下はミサの説教です。
日本では、正月には神社に初詣に行き、家内安全や、様々な希望を願う習慣があります。
カトリック教会では、1月1日に、神の母聖マリアを祝います。また、この日を世界平和の日とし、年の初めに平和のために祈ります。しかし最も大切なことは、1月1日は主の御降誕の8日目を祝う日だということです。カトリック教会では、12月25日から数えて8日間を、クリスマス・オクターブといって、特別な期間に定めています。これは御復活も同じで、御復活から八日間をイースター・オクターブといって特別に祝います。これは、御復活やクリスマスが、ただ一日だけで終わるお祝いではなく、8日間かけてその恵みを深く味わい、自分の生活の中で受け止めていくための期間と位置づけているからです。クリスマス・オクターブは、今日、1月1日の神の母聖マリアを持って終了します。ですから、今日の祝日は主の御降誕を深める節目としてお祝いする日なのです。
さて、「神の母聖マリア」という称号は、元々マリアご自身よりもキリストの位格について語られる中で用いられました。キリストが、神でありながら、本当に、マリアから人間として生まれてこられたという意味です。キリストが、真の神であり、同時に真の人間であることを示しています。
イエスの懐胎、誕生によって、マリアは神の母となりました。生まれてきた新しいいのちは、ひとりの無力で無垢な小さないのちであると同時に、この世のどのような権力、武力、そして死すらもものともしない、神のいのちです。この、弱さをまとった神のいのちは、どんなに弱い存在でも、たとえ人々に受け入れられず、住むところがなく、難民として逃げていかなければならないような人、むごたらしく殺されてしまうような人であっても、神は救ってくださるということを私たちに示してくださいました。今日の福音には、「幼子はイエスと名付けられた」と書かれています。イエスとは、「神は救う」という意味で、まさにその名の通りの使命を持って神は人として生まれてくださいました。マリアは神の母として、次々に不思議な出来事に遭遇しますが、それらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていました。
マリアは、同時に、人の母となりました。イエスは真の神であり、真の人であるわけですから、無力で、手のかかる、ひとりの赤ん坊をマリアは育てなければなりません。馬小屋で、ヨセフとふたりで8日間イエスの世話をするのはどれほど大変だったでしょうか。何より、身重の身でありながら宿が無いという、人々に受け入れられない状況の中で初子を生むということは、心が押しつぶされるような辛いことであったのではないでしょうか。おしめを替えたり、世間の冷たさに心を痛めながら、マリアは母として日々忙しくしていたのだと思います。
世界のすべてのお母さんが、子どもが生まれ、成長していくのにつれて、母として成長していくように、マリアも日々、日常の生活を通して、イエスと共に成長していったのでしょう。
皆さん、神が、あなたのために、あなたを救うために、無力な人となって生まれてきてくださったことを本当に信じていますか?
あなたの、忙しい毎日の生活の中で、神があなたを救うために人として生まれてくださったと感じていますか?
あなたの、当たり前の毎日の生活の中で、神と共に成長し、神が人を大切にする思いを自分の思いとして生きていますか?
今日、クリスマスのオクターブを終えるにあたり、また年の初めにあたり、私たちは、これらの大切な問いを、自分自身に投げかけ、深く思い巡らしたいと思います。
さて、世界平和の日にあたり、教皇フランシスコはメッセージを出し、皆で共に平和の道を歩むよう招いています。引用します。
「COVID-19の遺産として残された最大の教訓は、わたしたちは皆互いを必要としているという気づきであり、とてももろいものであるとはいえ、わたしたちの最大の宝は、等しく神の子どもであることに基づく人類の兄弟愛だという気づき、そして、だれも一人で救われることはないという気づきです。」
教皇はこのように、コロナ禍は問題をもたらしただけでなく、互いに愛し合う、支え合う兄弟愛が大切なのだと気づかせてくれたと教えています。この兄弟愛については、2020年に出された回勅、『兄弟の皆さん』に詳しく触れられています。ところが、コロナ禍が終わらないうちに始まった戦争は、10ヶ月経った今も続いています。また、世界各地で紛争が続き、軍備増強と同盟間の対立の動きが強まっています。
教皇は平和メッセージでこのように続けます。
「わたしたちはもはや、個人や国家の利益になるものを守ることだけを考えていてはだめなのです。利益を守ることを、共通善に照らし、共同体意識をもって、言い換えれば普遍的兄弟愛に開かれた「わたしたち」として、考えていかなければならないのです。」
世界のすべての人のために、神が人となって救いに来てくださったこと。すべての人が、神のこどもであること。あの人々と私たちではなく、すべての人を私たちとして愛のうちにともに歩んでいく決意を持って、今年を平和な年にしていきたいと思います。
今日の第一朗読では、神が人々を祝福する言葉が記されています。神が、世界のすべての人、例外なくすべての人を祝福しておられることを意識して、皆さんで一緒に、24節から26節まで声に出してこの祝福の言葉を唱えたいと思います。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。
アーメン。