新潟教区の皆さん、主の御復活おめでとうございます。新潟教会では19:00から復活徹夜祭が行われ、その中で一人の方が洗礼と堅信を受けられました。おめでとうございます!いのちの与え主である神の恵みに満たされて、世界で困難の中にある人々とともにこのときを過ごしたいと思います。復活の主の祝福が皆様の上に豊かにありますように。以下、説教の抜粋です。
成井大介司教
光の祭儀では、復活のろうそくに火が灯されます。これは、復活のキリストを表すシンボルで、その光は隣の人へ、また隣の人へと渡されていきます。弟子たちが主の死と復活を告げ知らせ、それが多くの人の手によって2000年かけて新潟のわたしたちに伝えられたことを表しているようです。
ろうそくの光を持っているとき、わたしたちはろうそくを真っ直ぐにして、蝋がたれないようにします。また、人に火を回したり、移動したりするときには、手のひらで火を覆い、消えてしまわないようにします。人が近くにいるときには、火が服などに付かないように気をつけます。人から伝えていただいた信仰を、自分の所に留め、守り、様々な危険を避け、美しい光で周りを照らせるようにします。そして、その守った信仰を、そっと、大切に、次の人に渡すのです。
弟子たちはイエスを見捨て、逃げ、イエスは十字架上で亡くなりました。すべてを捨てて従ってきたイエスが亡くなったこと。自分がイエスを見捨てて逃げたこと。自分もそのうち見つかって同じように殺されるかもしれないこと。それこそ、弟子たちは深い闇のどん底で打ちひしがれていたことでしょう。イエスの復活はその闇に灯された光です。
弟子たちは、暗闇の中で灯された光をしっかりと受け止めました。後ろめたさも、恐怖もあったと思いますが、それにもましてイエスが生きていること、イエスが来てくれたことに心動かされ、この出来事を周りの人に伝えてまわりました。イエスが灯してくださった光を受け、守り、輝かせ、回していったのです。
ところで、このイエスの死と復活という出来事があった場は、今、戦場となっています。先程読まれた、救いの歴史についての聖書朗読にも、戦争のために故郷から逃げ出したり、他国で囚われの身となる民のことが読まれましたが、それは今も続いています。一体人間はいつまでこのようなことを繰り返すのでしょうか。
ガザで支援活動を続けるカリタスエルサレムによると、安全保障、住居、食糧、医療、教育など、生活のあらゆる面で深刻な影響が出続けており、カリタスエルサレムを含む多くの人道支援団体は限られた資源を最大限に使って活動を続けています。
教皇はこの聖週間に合わせて聖地に住むカトリック信者に手紙を出し、次のように語りかけました。「主が生き、死に、復活された場所、聖地で暮らす皆さんにとって復活祭を祝うことは、特別な意味を持っていることでしょう」。
そして、聖地の人々と心を合わせ、次のように祈られました。どうか皆さん、平和のために祈りながら聞いてください。
「わたしたちの平和である主、平和を実現する人々は幸いであると言われた主よ、人の心を憎しみと暴力と復讐から解放してください。わたしたちは、赦される方、柔和で謙遜な方であるあなたを見つめ、従います。あなたと共に立ち上がり、復活する希望を、誰もわたしたちの心から奪えないようにしてください」。
皆さん、暴力と復讐は世代を超えて続きます。しかし、復活の希望に基づいた愛の行いは、暴力を超えて広がり、伝えられていきます。人は、根本的に、与えられるよりも与えるとき、自分のためよりも人のために生きるときにこそ幸せになれるよう、神によって造られているからです。イエスがご自分の死と復活を通して、その最大の模範を示されました。
どうか、わたしたちが、イエスから弟子たちを通して伝えられてきた復活の希望をしっかりと受け止め、守り、愛の行いを通して人々に伝えていくことができますように。