本日、米沢市の北山原殉教地跡で、米沢で殉教した福者ルイス甘粕右衛門と52人の殉教者を記念するミサが行われました。毎年7月の第一日曜日に山形地区主催で行っている行事で、今年は雨が心配されましたが、雨も降らず、太陽もほとんど出ずで、暑いにしてもとても助かる天気の中での開催となりました。今日は山形県のすべての教会共同体から80名ほどの皆さんが参加されました。暑い時期の野外ミサなのでご高齢の方の参加はなかなか難しいのですが、大勢の方が集い、ともに祈ることができたことに感謝です。山形地区の皆様、暑い中での準備、ありがとうございました。また、ミサの前には米沢市長近藤洋介様がご挨拶にいらしてくださいました。お忙しい中ありがとうございました。
以下、ミサの説教です。
成井大介司教
1週間前の7月1日、新潟教会で、一人の教区司祭が司祭叙階60周年を祝いました。長い間老人介護施設に入って療養しておられましたが、体調を整え、車椅子で記念ミサに参加されました。ミサの後、ささやかな食事会をしたのですが、その最後に祝福をお願いしました。おそらく参加者全員が、大丈夫かな、と思ったと思いますが、神父様は、聞こえるか、聞こえないかの小さな声で、小さく手を挙げて、ゆっくりと祝福をしてくださいました。そこにいる全員が、ドキドキしながら、小さな声に全身全霊で耳を傾け、全身全霊で手の動きを見守り、全身全霊で神の祝福を願っていました。食事会の後ある司祭が、「こんなに恵みあふれる祝福は受けたことがない」と言っていました。まさにその通りだと自分も感じていました。
後からその時のことをふり返り、心の中で思い巡らしていました。すべての祝福は、同じ神からの祝福。いつでも、誰を通してでも、100%の神の祝福。あの祝福の方が素晴らしいとか、そんなことはない。でも、このとき、別のことに気を取られず、少しの所作の見逃さないほど集中して、目も、耳も、五感を研ぎ澄ませて神父様の祝福を受けました。祝福を与える側も、一生懸命でした。与える側、受ける側が互いに集中していて、普段以上に神の祝福をそのまま受けることができたときとなったのだと感じました。逆に言うと、いつもと同じとか、考え事をしていたりとか、大切な事だと意識せずに、ただそこにいて祝福を受けても、ちっとも響かないということですね。
今日の福音には、イエスが故郷で受け入れられず、ごくわずかの病人に手を置いて癒やされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことができなかったとあります。イエスは、故郷だから手を抜いたということはないでしょう。故郷の人が、自分の先入観でイエスを見てしまったのです。「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」そう言って、イエスの故郷の人々は、今、イエスが語る言葉や行うことを見ずに、自分の中にあるイエスのイメージを、先入観を持って見ました。神の注がれる恵みは、それを受ける人がどのように受け止めるかで、素晴らしいものにも、意味のないものにもなり得るんですね。
米沢で殉教したキリシタンたち、ルイス甘糟右衛門と52人は全員が信徒でした。30名の男性、23名の女性。中には、小さな赤子もいた。1歳が2人、3歳が5人、5歳が2人。司祭や修道者はいませんでした。多くの人が、洗礼を受けてから2年以内でした。
53名の殉教者は、ほとんど司祭に会うことがありませんでした。ごくたまにやってくる司祭のミサに与るとき、赦しの秘跡を受けるとき、話を聞くとき、それこそ全身全霊で受け止めたでしょう。そしてこれらの人々は、自分が受け止めるだけでなく、周りの人々に対して、全身全霊で、神の愛を伝えていったのです。病気の人を助ける。貧しい人を助ける。身分に関係なく奉仕する。わざわざ危険を冒して信仰を表明する。自分の命を信仰の証しのために捧げる。こうした行いによって、地域の人々の心は神の恵みに開かれていき、神の恵みは地域の人々の間に染み込んでいきました。
毎年お話ししますが、英語で殉教者のことをMartyrと言います。ギリシャ語が原語の単語で、元々は「証し」という意味です。殉教とは、死ぬことそのものよりも、生き方、死に方をもって神の愛を証することなのです。決して、自分の思いを貫くというだけでなく、神と自分の関係だけでなく、周りにいる人々に神の愛を示し、伝える行いなのです。殉教者の証しは、それを見た人も、わたしたちのように、時を超えて聞く人々をも神の愛へと導くのです。
さて、わたしたちが生きている今の時代。今の日本は、様々な存在や出来事を通して人々に注がれる神の恵みに敏感で、開かれやすい環境でしょうか。自己責任の文化。他人に迷惑をかけない文化。自己完結で、助けることも、助けられることもない文化。人の役に立たないと居心地が悪くなる文化。つまり、存在が尊ばれず、何かができることが尊ばれる文化。コロナ禍以降、ますますこうした傾向が強くなっているように感じます。
ある意味、殉教者たちが行ったことは真逆の文化ですね。病気の人を助ける。貧しい人を助ける。わざわざ危険を冒して信仰を表明する。自分の命を信仰の証しのために捧げる。
教皇フランシスコは、2021年の世界平和の日メッセージで、コロナ禍の影響について触れた後に、次のように述べています。
「この一年の間に人類の歩みに刻まれたこうした出来事は、兄弟愛に満ちた関係に基づいた社会を築くには、互いをケアし、被造物を大切にすることが、いかに重要であるかを教えてくれます。ですから、このメッセージのテーマを「平和への道のりとしてのケアの文化」としました。今日、はびこっている無関心の文化、使い捨ての文化、対立の文化に打ち勝つための、ケアの文化です。」
ケアの文化。つまり、人と自然を大切にする文化を広めていきましょうと教皇フランシスコは述べました。私は、これはまさに、殉教者たちが証した文化そのものだと感じています。
殉教者を模範としていただいているわたしたちは、身分や立場、財産の有無に関係なく、神の愛をしっかりと受け止め、人と自然を大切にする生き方、信仰を証するよう招かれています。
教会は今、シノドスの道を歩んでいます。ともに歩む教会のあり方を深めています。米沢の殉教者たちは、ともに歩みました。殉教者も、宣教師も、キリシタンの組の人々も。貧しい人、病気の人、身寄りのない人とも。そして、殿様も、役人も、町の人も。みんなでともに歩み、神の恵みが地域全体に浸透していきました。
わたしたちは、どうでしょうか。小教区で、近隣の教会で、地区で、教区で、ともに歩んでいるでしょうか。地域の人々とはどうでしょう。司祭が少なくなり、教会だけでなく、地域全体の高齢化が進んでいます。5年後、米沢殉教400周年を迎えるとき、地域は、教会は、どうなっているでしょうか。
私は、このようなときこそ、司祭がいない中、信仰の自由がない中、上杉家の経済状況が良くない中、信仰を証した殉教者のように、一つ一つのミサを大切に、神の言葉を大切に、祈りを大切に、地域の中で困っている人々を大切に、多くの人々とともに歩んでいくべきだと感じています。
新潟教区の宣教司牧方針には次のように書かれています。
「宣教は神の計画であり、「わたし」の計画ではない。神の宣教に参加する思いで取り組む限り、どれほど小さな行いも、どれほど失敗しても、神が必ずご自分の計画の一部として良いようにしてくださる。」
わたしたちの毎日の小さな祈り、小さな優しさ、小さな奉仕も、殉教者たちの偉大な証も、すべて神の宣教の大切な一部です。今、このとき、わたしたちが捧げる祈りに精一杯心を込めて、神と人々に捧げましょう。