教皇フランシスコの逝去に際して

2025年4月22日

新潟教区の皆様

教皇フランシスコの逝去に際して

 

 2013年から牧者として、また奉仕者として、私たちに耳を傾け、ともに歩み、導いてくださった教皇フランシスコは、4月21日午前7:35(日本時間14:35)神のもとへと旅立たれました。88歳でした。

 教皇フランシスコは、教皇就任3日後のメディア代表団との謁見で、自分がどうして「フランシスコ」という名前を選んだのか説明されました。サンパウロの名誉司教、クラウディオ・フムス枢機卿が、コンクラーベでベルゴリオ枢機卿(教皇フランシスコの名字)の2/3の得票が決定的になったとき、「貧しい人々を忘れないで」と言ったそうです。それで、ベルゴリオ枢機卿は貧しい人々のことを思い巡らし、アシジのフランシスコのことをすぐに思い浮かべました。ご存じの通り、この聖人は貧しく生きた平和の人でした。そして被造物を愛し、守った人です。教皇は続けてメディア代表団にこう言いました。「教会が貧しい人々のために貧しくあったらとどれほど望んでいることでしょう。」

 このエピソードは、12年間の教皇フランシスコの歩みを象徴するものだと私は思います。教皇は、いつも貧しい人々、社会から疎外されている人々のもとに出かけて行かれました。バチカンにホームレスのための施設を作り、2015年の難民危機の時には難民を受け入れました。環境危機と社会危機は一つの複雑に絡み合った危機であるとし、神と、他者と、自然と調和のうちに生きるよう呼びかけました。国や宗教などの壁を越えた兄弟愛を説きました。そして、2021年にはじめられたシノドスでは、すべての信者に耳を傾け、ともに識別を行いました。それは、聖霊がすべての人を通して働いておられるという強い確信に基づいた取り組みでした。

 教皇は、亡くなる前日、復活の主日にローマと全世界へメッセージを送られ、次のように語られました。

「神に希望を託す人々は、神の偉大で力強い御手の中に自分のか弱い手を置きます。そして、神に立ち上がらせていただき、再び歩ませていただくのです。復活したイエスと共に、彼らは希望の巡礼者に、愛の勝利といのちの静かな力を証しする人々になります。」

 教皇フランシスコは、現代の変わりゆく社会にあって、神に希望をおいてともに生きる模範を示してくださいました。新潟教区の皆様、ぜひ教会を訪問し、またご自宅で教皇のためにお祈りください。永遠の安息を祈るとともに、最後まで希望の巡礼者として人々とともに歩まれ、わたしたちに祝福を送られた教皇フランシスコに感謝いたしましょう。そして、これからの私たちの歩みを神の許から見守ってくださるよう、祈りましょう。

 各教会では、適切な場所に教皇の写真を設置し、追悼の祈りを捧げることができるよう配慮をお願いします。なお、教区として行う追悼ミサに関しては、改めてお知らせいたします。

 この手紙に、司教協議会会長談話を添付いたします。あわせてお読みください。

カトリック新潟教区
司教 パウロ成井大介

 

司教協議会会長談話(リンク)