本日午後4時から新潟教会聖堂にて教皇フランシスコ追悼ミサが行われました。教区主催で行われた追悼ミサで、新潟教会だけでなく多くの教会から人々が集い、またこの日行われた宣教司牧評議会の評議員も参加し、おそらく150名ほどの人々で聖堂はいっぱいになりました。教皇フランシスコは人々に耳を傾ける姿勢を貫いた方ですので、きっと多くの人が身近に感じておられたことと思います。また、2019年の来日の際、教皇ミサに参加された方も多くおられます。今日、ともに教皇に感謝し、永遠の安息を祈ることができたのは、私たち自身にとっても大切な事だったと思います。以下、説教の原稿です。
成井大介司教
教皇フランシスコは御復活の月曜日、4月21日にバチカンで亡くなりました。88歳でした。2013年、コンクラーベで選出された教皇が、聖ペトロ広場のバルコニーから大群衆に向かって最初に発した言葉は「Buona sera、こんばんは」でした。まるで、道で会った近所の友人に挨拶をするような言葉です。そして、教皇としての最後の言葉も、やはり聖ペトロ広場のバルコニーからでした。4月20日、復活の主日のメッセージで、息絶え絶えに、絞り出すような声で仰った「父と、子と、聖霊の祝福が皆さんの上にありますように」です。この最初と、最後の、二つの言葉は、教皇フランシスコの素朴で気さくな人柄と、ただひたすら神のいつくしみを人々に示し続ける一途な姿の両方をとてもよく表していると私は思います。
教皇フランシスコ、本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、1936年にアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれました。1958年にイエズス会に入会、1969年に司祭に叙階されます。その後、修練長、神学科教授、神学校院長、管区長などを歴任し、1992年、ヨハネ・パウロ二世により、ブエノスアイレス大司教区補佐司教に任命されました。1998年には同大司教区の大司教に任命されます。そして、2001年に枢機卿に任命され、2013年3月13日に第266代教皇に選出されました。
フランシスコが教皇に就任した当時、教会は様々な問題を抱えていました。また、急激に変化する社会の中で、人々の心に届くように福音を伝える方法を模索していました。そのような状況で、76歳という高齢で就任したにもかかわらず、教皇は実に精力的に行動され、はっきりとした道筋を教会と世界に示されたことはご存じの通りです。
教皇として、アッシジの聖フランシスコの名前をいただいたことに、その教皇としての姿勢が表されています。謙虚であること。自分自身が貧しい人であること。貧しく、虐げられている人に奉仕すること。平和のために行動すること。自然を含め、神が造られたこの世界すべてを大切にすること。すべての人の間の兄弟愛。イスラム教をはじめ、他宗教との対話を深め、ともに歩むこと。こうした、教皇が追及してきた生き方や取り組みは、まさにアッシジの聖フランシスコの特徴そのものです。
多方面で活躍された教皇フランシスコですが、その人柄は実に素朴で、地に足がついた、何よりいつくしみに満ちた方でした。
私自身、2度ほどお目にかかって感じましたが、彼は全く教皇としての威厳を感じさせず、暖かく、ユーモアがあり、いつくしみに満ちた笑顔で目を見て話してくださいます。教皇のことをPapaと呼びますが、まさにお父さん、おじいちゃんといった雰囲気です。
教皇フランシスコがコンクラーベで選出され、バルコニーで最初に人々の前に姿を現し、挨拶をしたときのことです。教皇フランシスコは、集まった多くの人々に対して、「主がわたしを祝福してくださるよう、祈ってください。」とお願いしたのです。自分が新教皇として人々に祝福を与える前に、まず皆さんが私のために祈ってほしいと。人々はしばらく沈黙のうちに教皇のために祈り、その後教皇は人々に祝福を与えました。
教皇フランシスコが取り組んだ多方面の様々な活動を貫く、揺るがない柱のようなものがあります。それは、神のいつくしみを証しするということです。
2015年、教皇に選出されて2年後、教皇フランシスコはいつくしみの特別聖年を実施しました。その開催を公布した大勅書の一番最初に、教皇は次のように書いています。
「イエス・キリストは、御父のいつくしみのみ顔です。キリスト者の信仰の神秘は、ひと言でいえばこの表現に尽きる気がします。」
教皇は続けます。
「神のいつくしみは、わたしたちに対する神の責務なのです。神は責任を感じています。わたしたちの幸せを望み、わたしたちが幸福で、喜びと平和に満たされているのを見たいのです。キリスト者のいつくしみに満ちた愛は、その神の愛と同じ波長をもたねばなりません。父が愛しておられるのと同じように、子らもまた愛するのです。御父がいつくしみ深いかたであると同じように、わたしたちもまた、互いにいつくしみ深い者となるよう招かれているのです。」
「教会の生命を支える柱は、いつくしみです。教会の司牧行為は、すべてが優しさに包まれていなければなりません。優しさをもって信者に語りかけるのです。教会が世に向けて語るどんなメッセージにもどんなあかしにも、いつくしみが欠けていてはなりません。教会の真正さは、いつくしみと思いやりにあふれた愛の道を通るものです。教会は、「いつくしみを示したいという尽きない望みを抱いています」。(『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』いつくしみの特別聖年公布の大勅書、9項、10項)
教皇はまさに、神の愛といつくしみを受け、喜びと平和に満たされること。そして人々の間で互いにいつくしみ深い者となることを徹底的に実践し、呼びかけたのです。
教皇フランシスコは、何よりもまず、自分自身が貧しさを生きました。教皇宮殿に住まず、バチカンを会議などのために訪問する人のための宿泊施設に住み、小さな車に窮屈そうに乗り、質素な服を着ました。
貧しい人、困難にある人、特に難民や紛争の直中にある人を助けるために行動しました。バチカンの建物にホームレスのための施設を作り、難民危機の時には難民を受け入れ、またヨーロッパ中の教会に同じようにするよう呼びかけました。聖木曜日には、刑務所や難民キャンプを訪問し、受刑者や難民の足を洗い、その足にキスしました。
教皇庁の大胆な組織改革を行い、教皇庁の省庁は世界の教会の福音宣教に奉仕するためにあるという目的を徹底して意識するようにし、また女性が役職に就いたり決定プロセスに加わるようにしました。
自然環境についての取り組みを深め、この世界のすべてはつながっており、互いを必要としていると教えました。
他宗教、特にイスラム教との対話を深めました。
世界が自国中心主義に傾き、攻撃的なナショナリズムが再燃していく中、互いの間に壁ではなく橋を架けること、対話によって平和を構築することを倦むことなく訴え続けました。
2019年11月には、「すべてのいのちを守るため」というテーマで来日され、広島と長崎を訪れ、真理と、正義と、愛と、自由に基づいた平和を説き、希望を持ってともに歩むことの大切さを語られました。
2021年からのシノドスによって、教会はすべての人の居場所だと訴え、世界中の信者とともに、聖霊の導きを識別し、ともに歩む教会作りを進められました。
このすべてが、神のいつくしみを、ご自身と、教会全体が、証しするための取り組みです。
教皇は、私たちに挑戦します。あなたも、神のいつくしみを自分の生活の中で表しなさい。人に対する優しさや厳しさで。笑顔や涙で。祈りや寄り添いで。開かれた心でともに歩むことで。特に、困難にある人を大切にすることで。あなたも、神のいつくしみを周りの人に伝えなさい。そう、教皇は私たちに呼びかけています。皆さん、その呼びかけをどのように受け止めますか。
2015年9月、シリアにおける紛争が激化し、多くの人々が難民として国外に避難していきました。ヨーロッパにも、多くの難民が押し寄せました。まさにその年の12月から、先程紹介したいつくしみの特別聖年が始まろうとしていたときです。教皇フランシスコは、9月6日のお告げの祈りで次のように語りかけました。
「いつくしみの聖年を間近に控え、欧州の小教区、修道院、聖地巡礼地にお願いします。福音を具体的な形で示し、それぞれ難民の家族一世帯を受け入れてください。」
私はその時ローマにある修道院に住んでいたのですが、この言葉を聞いて相当戸惑いました。「いや、それは無理だ」「自分の修道院には人がたくさん住んでいて、そんなスペースは無い」そう思いました。しかし、多くの教会が、何とか工夫をして、難民を受け入れていきました。私たちの修道院も、敷地内の離れを改修し、2016年から毎年二人の難民を受け入れるようにし、それは今も続いています。私はお世話係をしていたのですが、今回教皇が亡くなったとき、難民の一人から連絡が来ました。「元気にしてる?」というので、「教皇のためにミサを捧げたよ」と返すと、彼は「教皇のために祈るのはすごく大切な事だ。俺のためにも祈ってくれるだろ?祈りは俺たちにとってとても大切だよな。祈るからこそ神は俺たちを祝福してくれるんだ」と返しました。
彼はイスラム教徒です。私の大切な友人で、互いのために祈っています。神のいつくしみを証しすることで、自分自身にいつくしみが注がれているのを実感させてくれる人です。私は、この出会いをくれた教皇フランシスコに感謝しています。
どうか、私たちが、自分の弱さや、欠点を含めて、ありのままを愛し、いつくしみを注がれる神に信頼することができますように。そして、教皇の呼びかけに応え、神のいつくしみの証し人として歩みを進めていくことができますように。神よ、私たちの歩みを導き、祝福してください。